女川向学館は先生同士の刺激にもなる場所 【カタリバ】 

生徒の指導にあたる藤中郁生先生
 宮城県牡鹿郡女川町に7月4日にコラボレーションスクール(コラボ・スクール)が誕生した。このスクールの運営をするのは、首都圏を中心に高校生へのキャリア教育を展開しているNPOカタリバ。組織や役割を越え、様々な立場に立つ人同士がミッションを共有しながら教育を人任せにせず、強調・協力・役割分担をしながら作り上げるという新しい学校の形である。

  コラボ・スクールの第一校目となる『女川向学館』には、女川町の被災した子どもたちが集い、勉強を学ぶ場所として日曜日を除く週6日開校している。ここには現在女川町に生活をする児童・生徒の約3分の1、およそ200人が学校が終わった後の時間に通っている。CANPAN NEWSは向学館で生徒の指導にあたる藤中郁生先生(※1)に指導する立場としてお話を伺った。

 藤中郁生先生は、女川町で小学校~中学まで学年児童10人を対象とした持ちあがりの学習塾を運営。しかし藤中先生が営む学習塾は津波の被害にあってしまった。

「震災の起きた3月はちょうど中学2年生が3年生になるという、子どもにとっては大事な時期でした。震災は子どもたちの勉強という面で、大きな打撃となったと思います。」(藤中先生)

震災からおよそ3週間くらいの間は身動きが取れない状態だったという藤中先生。しかし子どもたちのことが心配で、先生は4月からある行動にでた。

「とにかく避難所やお寺をまわって、子どもたちの顔を見に行きました。預かった生徒たちだけには、なんとか勉強を教えてやりたいなと、勉強をできる環境を作ってあげたいと思いました。勉強ができなくなった理由をこの震災のせいにしては困るなと。しかし人によっては場所によって来られない生徒もいましたね。」(藤中先生)

 藤中先生はボランティアで避難所やお寺を回ったのだ。勉強を教える公共の場所を借りたい、ちょうどそのように考え始めていた頃に女川向学館設立の話が持ちあがった。

「この向学館に通っている先生たちは、僕の他もそうなのですが津波の被害にあった後に避難所を回っていた人たちばかり。同じ気持ちをもっている学習塾の先生ばかりがここには集っています。震災からおよそ1カ月間の勉強ができない空白の時間は、子どもたちにとってとても大きい時間だったと考えています。

 中学3年生の子どもたちは自分が長く接していることもあり、素直に普通にコミュニケションがとれるので心配はあまりないのですが、中学1、2年生はなかなか難しい。競い合うでもなく、互いに足を引っ張り合ってしまう時期なんです。中2は、みんなできるのにできないふりをするそんな状態。できるけれど勉強をやりたがらないという生徒もいるので大変です。空白の一か月をきっかけに環境も変化し、やる気がまだでてこない子もいますね。」(藤中先生)

 勉強ができないことを震災のせいにして欲しくない、先生の心の底にはそのような気持ちがあるのだろうか。藤中先生は女川向学館がとっても面白いといっている。

「今まで塾というのは他の塾との交流がなく商売敵だったんですが、ここ(女川向学館)で初めて他の塾の先生と、指導の仕方や意見をぶつけ合い、互いにいいところまねたり、競い合ったりできるというのは新しい発見なんです。楽しい場所ですね、とにかく日々勉強ですよ。」(藤中先生)

※1 藤岡郁生先生 
東京生まれ 女川町在住 64歳 
女川向学館より車で10分程度の場所にある仮設住宅で生活。
女川町で小学生・中学生を対象とした35年続く名門個人塾「藤中塾」を営んでいた。
津波の被害により塾は流された。
震災後の4月からはボランティアで避難所やお寺などを回り、
もともと預かっていた子どもたちに勉強を教える日々を送っていた。
現在は女川向学館で、週五回 
中学3年の数学、英語、理科と中学2年理科の指導にあたっている。

 児童だけでなく指導者も学べる場所となっているコラボ・スクール「女川向学館」。今後、どのような形に変化していくのだろう。運営を行なうNPOカタリバの代表、今村久美さんの独占インタビューはこちらから。

(取材日 2011年9月12日 宮城県牡鹿郡女川町)

(2011年10月 4日 11:00)
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