"原因は油断"名取市消防団閖上分団長が語る(後半)【樋口恵一さん】

9月に撮影した閖上地区の様子
前半のつづき

 宮城県名取市消防団閖上分団 分団長の樋口恵一さんにお話をお伺いしています。

Q 津波の予測はどのようにしてわかるのでしょうか。

 昨年チリ津波が来たときに、「液状化現象が起きたら津波が来る」ということを理解していたつもりでした。
 今回地震が起きてすぐ自分の店の前の瓦礫の片付けをしていたときに、路面は液状化していました。
 それを見てすぐに判断をすればよかったんです。しかし、閖上地区は津波が来ない地域といわれていたためか、完全に油断をしたと思います。「大丈夫だろう」というその油断がいけなかった。常識から何からすべて覆されました。

Q 名取市消防団閖上分団の消防団員の状況はいかがでしたか。

 被災前は111名いた消防団員は現在98名。13名が亡くなりました。うち11名が消防団活動中の殉職です。消防団の人たちも被災者であり、家族を置いて現場へ行くことになる。日本消防協会の人に「なぜこんなに殉職者が多かったのか」を尋ねられました。津波が来ないだろうという「油断」がそうさせたのか、やはりそれが原因だったと思っています。

Q 消防団分団長という立場をどのように考えられていましたか。

 津波の後も自分は分団長という責任のある立場だったので、消防活動で遺体探しやがれき撤去をする必要がありました。家族がどうしているか考えてはいたのですが、立場上家族を探す作業よりも自分のするべき活動に徹していました。翌日私は自宅跡近くで、全身泥だらけのまま身動きできなくなっている息子を見つけました。息子は制服姿の私に気付くと「何が消防だ、家族も守れないのが消防団か。一緒に逃げれば逃げられたんじゃないのか!」と叫びました。

 息子のその言葉には返す言葉がなく、正直辛かったですね。消防団という立場でも家族と一緒に逃げていた人もいますし、その行動は間違ってはいないんです。家族を探したいのは当たり前のこと。私は自分の立場、分団長という立場から閖上のためにやらなければいけないことがありました。私は妻と母をこの津波で亡くしました。油断です。こんなに大きな津波がくるとは思わなかったんです。

Q 震災から半年が経ちました。今のお気持ちを聞かせてください。

 何もなくなってしまった閖上ですが、自分の生まれ故郷ゆえに住みたいという気持ちはあります。しかし果たして住んでいい場所なのか、住める状態に戻るのかというのが懸念する点です。自分は住みたいと思う反面、「こんな場所はもう嫌だ」という子どもたちがいる。「また(津波が)来たらどうするのか」と。今はアパートに暮らしています。自分は海を見て育ってきました。閖上には離れられない何かがあります。水際を見て育ってきたのでカモメが飛び広々とした海を見ていると心が落ち着きます。潮騒の波の音(ザブーン)という音に心が癒されますね。

Q 震災後、Twitterなどで全国の消防団のつながりが増えているようです。仙台市では10代~30代の若者が消防団に入団を希望する人が増えるなど、関心は高まっているようですがいかがでしょうか。

 消防団の活動は家族(妻)の援助なしではできません。夜の火災があれば寝ていても一緒に飛び起き、家族をおいて活動に出る。妻はそれを見送る。協力がなくてはできないものだと考えています。
ただ正義感だけではできない活動。若い人たちはそのあたりをよく考え、志を持ち、一人一人が分団長の意識をもって活動に励んでもらいたい。

Q 今後の課題・期待したいことなどを教えてください。

 今回、地震で倒壊してしまったが防災無線が断線しなければ、速やかに人を誘導しもっと多くを救えたかもしれません。津波は来ないだろうというのが頭にあり、油断してしまった。すべての原因はそこにあります。
神戸の震災の時に液状化現象の話を聞いていました。「液状化すれば必ず津波がくる・・・」
わかっていたにもかかわらず、それを活かすことができませんでした。震災による犠牲者を一人でも多く出さないこと。それが私たちの使命です。

 消防団は普段は各々の職業に専念し、災害時には消防団員として消防署と協力して市民の安全安心を守る立場。最近では少しづつ女性の消防団員も増え始め、高齢者が住む世帯に出向き、警報機の取り付けや説明をしたり、心のケアを行なったりと女性ならではの活動も注目されている。

 目に涙を浮かべ言葉を詰まらせながらも、私たちに心のうちをすべて明かしてくれた樋口さん。
10月から神戸・富山・北海道など全国を回り、講演活動をスタートされる。宮城県名取市消防団の閖上分団長として東日本大震災を体験を踏まえ、これからの消防団のありかたを社会に発信し続けていくだろう。

※ インタビューの様子と9月13日に撮影した閖上地区の様子はこちらから。

(取材日 2011年9月13日 宮城県名取市閖上)
(2011年9月28日 11:00)
From CANPAN NEWS
東北地方太平洋沖地震支援基金

CANPANプロジェクト

日本財団

CANPANレポート