"原因は油断"名取市消防団閖上分団長が語る(前半)【樋口恵一さん】

名取市消防団閖上分団長の樋口さん
 3.11の東日本大震災では多くの消防団員が殉職した。総務庁消防庁の調べによるとその数は、死者・行方不明者を合わせ253人とされている。ほとんどが発生直後の出動中の公務災害とみられており、1995年に起きた阪神大震災ではわずか1人だったのと比べると際立っている。
 
 消防団(※1)は、普段は各々の職業に専念し、災害時には消防団員として消防署と協力して市民の安全安心を守っている。
 
 9月13日、CANPAN NEWS取材班は最前線で活動にあたった団員に会うために宮城県名取市閖上地区を訪ねた。宮城県の南部、仙台市の南東に隣接する名取市。閖上地区は海岸線沿いの地域を指す。震災前2551世帯、7103人の人たちが生活をしていたが、津波の被害を受け死者・不明者845人(7月30日現在)、いまだ捜索活動が続いている。
 
 
 一行は、名取市消防団閖上分団 分団長 樋口恵一さん(※2)に震災時の状況と、半年経った今の気持ちをお聞きした。

Q 3.11震災当日の様子を聞かせてください。

 午前中にちょうど中学校の卒業式があり、区長さん達と一緒に参列していました。その後少し遅めの昼食をとり震災が起きました。店の壁が崩れ落ち、道路を塞いでしまっていたのです。まずは瓦礫を片付けることが先決だと思い撤去をしていました。この時、店の前の道路は液状化し始めていました。

 携帯に召集のメールが入りました。この日は金曜日だったので自分の仕事をしている人も多く、消防団員の4~5割くらいが救援にあたりました。閖上分団は111名が1~9部まで地区ごとに分かれています。今回の地震・津波では早く避難するようにという、広報活動(呼び掛け)がメイン。本来であれば防災無線を使って避難を呼びかけるようにするのですが、防災無線はすべて壊れていました。

 私は公用車に乗り「急いで避難してください」「海の方へは行かないでください」という呼び掛けを行ないました。避難所に指定されたのは閖上公民館。海岸線からだいたい1キロ強の場所に位置していたので、そこまで早く避難をするよう呼びかけました。途中消防本部からの要請で水門を10か所閉める対応にもあたりました。

Q 自宅で病気や寝たきりの人などについては、どのように対応をするのでしょうか。
 
 地区ごとに民生委員が一人ずついます。その民生委員が寝たきりの人がいるかなどの情報を把握しているという仕組み。個人情報保護法により、自分たち消防団員は把握をできないんです。それも、発生当日に民生委員からどこにいるという情報を教えてもらうことになっています。今回は民生委員もつかまらず、その情報を得ることすらできませんでした。

Q 津波が来る前に公民館まで避難してもらうよう呼び掛ける作業は非常に大変だったと思います。その状況はいかがでしたか。

 閖上は高齢者の多い町です。自分が避難を呼びかけながら公民館に着き、実際に津波が来たときに階段でおばあちゃんを後ろから支えてあげました。その時、私の足元から渦巻くような波が襲ってきたんです。自分は5、6段上がったところにいたのですが、自分の後ろにいたはずの5人がみな、あっという間に流されていきました。それはほんの一瞬でした。私の後ろはにはもう誰もいない、みんな流されてしまったんです。

 津波は鉄砲水になって上がってきます。ガラスも壊れ渦を巻くように襲ってきます。正直、自分ももうダメかなと思いました。本当に一瞬の出来事でした。

後半へつづく

※1
 消防団は、消防署と共に火災や災害への対応や予防啓発活動等を行う、消防組織法に基づいた消防組織のことをいう。消防署は常勤の職員(消防吏員・消防官)が常時消防業務に専念しているのに対し、消防団は日頃各々の職業に専念し、災害等の際には消防団員としてその対応に当たるという位置づけ。消防団員は日本全国におよそ88万人、消防団数は2275箇所、分団数は23000弱である。

※2
 樋口恵一さん、61歳。名取市消防団 閖上分団の分団長。商店を営みながら消防団員として活動。「自分の町は自分で守りたい」と消防団に入団、来年で30年を迎える。今回の大津波で母と妻を亡くし、息子は翌日自宅近くで泥まみれで発見、樋口さんが営んでいた衣料品店は流された。現在は息子とは別に、単身閖上地区でアパート暮らしをしている。

(取材日 2011年9月13日 宮城県名取市閖上)
(2011年9月27日 11:00)
From CANPAN NEWS
東北地方太平洋沖地震支援基金

CANPANプロジェクト

日本財団

CANPANレポート