ことばを大切にしていきたい 20歳の学生鶴田浩之氏が想いを語る【PRAY FOR JAPAN】

PRAY FOR JAPAN - 3.11 世界中が祈りはじめた日 2011年3月11日の東日本大震災以後、世界中から祈りと応援のメッセージ「PRAY FOR JAPAN」が地球上のあらゆる地域から、ツイッターやフェイスブック、画像投稿サイトを通してたくさんの言葉や写真が寄せられている。東日本大震災のわずか12分後から届き始めた、海外・国内からの祈りのメッセージ。このエピソードを集めたWEBサイト、それが「prayforjapan.jp(※1)」。

 このサイトは震災当日の夜、停電中の一時避難所にいた20歳の大学生によって立ち上げられた。「prayforjapan.jp」に届けられた多くのメッセージは、震災から一ヶ月後の4月に一冊の本、『PRAY FOR JAPAN - 3.11 世界中が祈りはじめた日』(講談社/2011年4月25日発売) としてまとめられ、7月までの印税 3,000,000円を8月23日、子どもたちの心のケア、学びや自立の機会を継続的に支援するために設立された「ハタチ基金」に寄付をした。今もなお世界中から「prayforjapan(日本のために祈る)」の投稿が寄せられている。

『PRAY FOR JAPAN - 3.11 世界中が祈りはじめた日』の監修を務め、prayforjapan.jp 設立人代表である20歳の学生、鶴田浩之(※2)氏へお話をお伺いした。

Q 3月11日鶴田さんは停電中の一時避難所にいらしたということですが、どんな状況だったのか教えて下さい。

車の運転免許合宿で、栃木県の那須塩原市に滞在していました。震災時は標高1000メートルくらいの場所にいて、初めは近くの山が噴火したのかと思いました。幸いこの地域は怪我人など大きな被害は無かったのですが、街のブロック塀は崩れ、道路に亀裂が入っている場所もあり、翌日まで電気が復旧せず停電が続いていました。この教習所にはちょうど春休み中だったこともあって80名ほどが合宿に参加をしていたのですが、中には東北地方から参加している高校3年生もいました。携帯がつながらず、家族と連絡がとれないという人もいて、強い余震も続いていたので、みんなでロビーに身を寄せ合い、仮眠をとりながら不安な夜を過ごしました。階段も廊下も真っ暗。寒い中、毛布にくるまっていました。長い夜でしたね。

Q 停電中の合宿所で「prayforjapan.jp」が立ち上がったということですよね。当日の様子を教えてください。

テレビもない携帯もつながらないという状況下で、友達が持っていたイーモバイルが細い回線で夜8時くらいからつながりはじめました。ustreamで流れていたNHKや、Twitterから震災の情報を得ていました。当日はなかなか眠れずに明け方4時ごろでしょうか、パソコンの電源が切れる前に情報収集をしようとページを見ていたときに「#prayforjapan(※3)というTwitterに寄せられているたくさんのメッセージを発見しました。その時に、身震いするようなすごいムーブメントが起きていることを直感で感じ取りました。「これは、きっと日本の財産になるのではないか」。Twitterに寄せられたこのメッセージを、インターネットに詳しくない人も、後から見られるようにと、その場でドメインを取得しました。それが立ち上げるまでの最初のきっかけです。

Q 合宿にパソコンとイーモバイルを持ってきていたからできた、すごいことですね。

運転教習の合宿には、一緒に会社をやっているメンバーも参加していたのですが、もともと合宿の間の暇な時間を使って、ひとつWEBサービスを作って帰ろうと考えていました。今回震災があって、たまたまこういう形でひとつのサイトが出来てしまったということですね。

Q 翌日から合宿所を避難所にして生活をし始めたのでしょうか。

合宿所には一週間は過ごせる程度の食料やガソリンがあったので、急いで帰らなくても合宿所にいた方が安全かもしれないと、そのまま滞在しました。生徒の運転教習は少しずつ再開されたのですが、計画停電の時間帯は信号機が消えていたので、教習で路上を運転するときに信号機がついていないという貴重な経験もしました。仮免許を取得し、震災からちょうど一週間頃に東京に帰ってきました。

Q 「prayforjapan.jp」のサイトの反響はいかがでしたか。

1週間ほどでアクセス数が300万人を越え、サーバーはパンク状態になっていました。サイトに関する取材依頼も入りはじめ、問い合わせも十数件くらい入っていました。東京に戻ってからは取材を何件か受け、3月20日頃に書籍化の話がまとまり始めました。このコンテンツを本として出版するべきか否か、10日間くらい自分の中で悩み、本に出す決断をしました。サイトには、翻訳をしたいというボランティアが世界中から50人近く集まり、WEBサイト上で12言語で翻訳しています。今回重要なのは、自分からの意思でボランティアをしたいという人たちが集まり、ソーシャルメディア上で、しかも短期間で知らない人同士のプロジェクトして成り立ったということです。まさにインターネットの力を感じました。歴史的なことだと思います。

Q 『PRAY FOR JAPAN - 3.11 世界中が祈りはじめた日』は4月25日に発売になりました。この本の制作に対する想いなどをきかせてください。

震災があった瞬間、またその一報を聴いた瞬間、世界中の人たちがそれぞれが誰かのことを想ったはずなんです。家族だったり、恋人だったり、大切な友達だったり、海外にいる人は日本にいる人たちを想っていたでしょう。その想いやる優しい気持ちを、この本を手に取ることで思い出せるような、そういうコンセプトで本を作りました。

手に取りやすい形、デザイン、価格であること、シンプルなものを作りたいというのがありました。本はずっと残るものだということから、慎重に作業を進めました。校了までは2週間、言葉選びに苦労をしました。帯に書かれるたった1行の文章について、何十時間も議論を重ねました。「大丈夫」という言葉にしても、果たしてそれを本の帯に使ってよいのだろうか。大丈夫という言葉は、無事だった人たちの自分勝手な言葉なのではないだろうか。「この本は一体何なのか」という原点に戻り、スタッフで泊まり込みながら議論を重ねました。

Q どんな人が本を買ってくれましたか。反響はいかがでしょうか。

30代の女性、子持ちの女性や年配の方、高校生が買ってくれて学校でみんなで読んだりと環境や性別は人それぞれです。本に挟まっている読者カードが、通常の数倍の量がきているということも嬉しく、2冊買って一冊をプレゼントとして大切な人に送り、一冊を自分用にという場合も多いですね。数百冊買って地域の人に配ったという人もいらっしゃいました。高校ではprayforjapan.jpのWEBサイトを題材にした授業が行われたり、中学高校の英語の授業などでも使われるなど、多くの問い合わせをいただいています。

Q 7月までの印税3,000,000円をハタチ基金に寄付しようと思われた経緯を教えてください。

この本は「誰のための本なのか」ということ。読者の方に報告をしなくてはなりません。本を出す前よりも、本を出した後にとても悩みました。義援金として、例えば日本赤十字社などに送ることがゴールなのか、小さな団体に少しづつ支援する方法がよいのか、控除が受けられるかどうかなど、団体の候補をいくつか出してミーティングを重ねました。その中でハタチ基金を選びました。カタリバの今村久美さんをはじめ、関係者の人たちをよく知っていたということ、ハタチ基金の活動趣旨に賛同できたこと。また、自分自身がちょうど二十歳であったということも何かの縁を感じました。未来を担う子どもたちのために使ってもらいたい。その思いでハタチ基金を寄付先に決めました。

Q 今後のprayforjapan.jpとしての構想をきかせてください。

『PRAY FOR JAPAN - 3.11 世界中が祈りはじめた日』を多言語で電子書籍化して、iPhoneやAndroid端末で閲覧できるようにし、大きなメディアで伝えきれなかった日本のメッセージを世界に伝えていきたいです。そして今後、現地で自発的に起きたプロジェクトに対して寄付や支援をしていきたいです。

一人暮らしをきっかけに2匹のハムスターを飼い、家で遊ぶ時間もあるとおちゃめな一面を見せた鶴田さん。将来は「色々なことを学び、語れることの多い大人になりたい」と話してくださいました。未来を担う20歳の大学生鶴田浩之さんの活動に今後も期待していきたい。

※1 prayforjapan.jp

国内外で、このWEBサイトをきっかけに募金やチャリティープロジェクトがいくつも誕生。Facebookのコミュニティには世界中から5万人を超える賛同者が集まって意見を交わし、言語の壁を越えて、復興に向けての支援の輪が広がっている。サイト設立後まもなく、prayforjapanのメールボックスは、「日本人でよかった」「自分にできることを始めます」といった内容と、さまざまな言語の感謝と応援のメッセージによって埋め尽くされた。WEBサイトでは、海外からの応援メッセージの他に、インターネットで投稿された「都心で人々が助けあっていた様子」「純真無垢な子どもたちと母親との会話」など、日本で起きた心温まるエピソードを紹介するページを公開中。

※2 鶴田浩之

鶴田浩之(Hiroyuki TSURUDA)

1991年長崎県生まれ、20歳。2004年、13歳からWebサービスを作り始め、16歳で起業、独立。
今年3.11東日本大震災の夜、停電中の避難所で『prayforjapan.jp』を設立、600万人がアクセス。
講談社から『PRAY FOR JAPAN - 3.11 世界中が祈りはじめた日』を監修/出版。2011年、株式会社Labitを創業。

※3 #prayforjapan

2011年3月11日14時58分、インターネットのミニブログサービス「Twitter」で、日本の地震のニュースを知った英語圏の男性が「prayforjapan(日本のために祈る)」と投稿した。この投稿以後、TwitterやFacebookやInstagram(写真共有サービス)などのソーシャルネットワーキングサービスで「prayforjapan」というキーワードで、世界各地から日本へ祈りの言葉や応援メッセージ、写真などが届き始めた。その数は、24時間で数十万件を超えたとも言われている。

※掲載の写真は、書籍『PRAY FOR JAPAN - 3.11 世界中が祈りはじめた日』からお借りしたものです。

(取材日 2011年8月25日 東京目黒区)

(2011年9月 5日 09:00)
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