花がもっと身近なものになるように【SYUNKA】

SYUNKA代表 華道家 中村俊月氏 花はどんなシーンで贈り、贈られ、飾られるものなのだろう。
自然風景の中にも、何年もの歳月をかけて育つ大きな桜の木も、地面に咲く一輪の小さな花も、そこにある"花"なのだ。華やかな祝いのとき、悲しい別れのとき、花はその時々でいろんな表情を見せる。

 日本の花は、世界にも誇る種類を持ち歴史も深い。床の間の文化があったから生け花がある。花を飾るシーンにはひとつひとつのストーリーがある。

 3月11日以降東北の花が泣いている。そんな花たちを救おうと、復興を願い一人の華道家が立ち上がった。東北で育った美しい花をひとりひとりに送るプロジェクトだ。

「BESPOKE FLOWER(ビスポークフラワー)」をコンセプトに、より上質な花をお届けすることを目指した花のアトリエ"SYUNKA(※1)"。SYUNKAが東北の花を使って作る「東北応援!アレンジ(※2)」や「東北の花の頒布会(※3)」を行ない、その売り上げの一部を被災孤児および被災地の子どもの心のケアに合わせ、学びと自立の機会を継続的に提供する期限付きの基金「ハタチ基金」へ寄付する動きを見せている。

華道家でありSYUNKAの代表を務める中村俊月氏(※4)に支援するきっかけと、"花のありかた"についてお伺いした。

Q 東北地方の花を全国に届けるプロジェクト「東北の花の頒布会」を始められるまでのエピソードをきかせてください。

震災時東京で車に乗車中でした。車を降りて、事の大きさに日本全体の喪失感を感じ「自分に一体何ができるのだろう、花は食べることはできないし、生き死にを前にして花なんかやっていて何になるんだろう。」とさえ、考えました。そんな中花業界全体では被災地に花を飾ったり、避難所へ行ったりと様々な取り組みを行なっていたのですが、「大切なのは花を飾りに行くことなのか。本当にこれでいいのだろうか」と疑問を持ちはじめ、「ハタチ基金」の存在を知りました。「次の世代」や「こどもたち」をメインにサポートしていくことを決め、早速、被災した東北の生産者の高品質の花を適正な価格で仕入れ、アレンジメントとして提供するプロジェクト「東北の花の頒布会」をスタートさせました。花の売り上げの一部を「ハタチ基金」へ寄付するという仕組みですね。

Q 東北地方に花を飾りにいらしたときはどんな気持ちでしたか。

被災した花屋さんの仕事の邪魔をしてはいけないという反対意見が出されたりしながらも、そんなこと言っていたら何もできないと、被災地に花を飾りました。自分がアレンジメントをするときに絶大な信頼をおいている産地が東北にはいくつかあり、毎年6月7月くらいの時期には東北限定で仕入れることもあったので、花の生産者さんたちのことは本当に気がかりでした。たまたま今回の震災では大きな被害はなかったのですが、それでもハウスが流されたり塩水がかかり苗がだめになってしまったりと、数字だけでは言い切れない被害があったんです。

また花業界ではなかなか花が売れないということが大きく問題になっているのですが、どんなに技術革新をして世界一レベルの美しい花を作っても日本では売れない・・・と絶望し、自ら命を絶ってしまう人すらいます。この震災を受けてこれから花業界がもっと厳しくなるのではと思い、自分にできることを最大限にやろうと感じましたね。

Q 日本の花が売れない理由はどこにあるのでしょうか。

欧米だと個人需要が法人需要の倍なのに対して、日本は個人の割合がおよそ4割。ほぼ法人向けなんです。花のありかたが違うんですね。日々の生活において、個人が花を買うという機会が日本では少ないため、なかなか売れないというのが現状です。生産者から消費者に対しての距離が非常に遠いというのも大きな問題。消費者が欲しい花を生産者が作らないという不思議なブラックボックスがあるのも事実なんです。つまりニーズがあって、生産したらとても売れる種類の花があるのに、それがちゃんと伝わっていかない。お客様から汲み上げられた意見がどこかで止まってしまっているんです。ですので、自分は認可をとってこういうのが欲しいというものを市場と直接やり取りさせてもらっています。そうすることで少しずつ消費者が欲しい花が市場や、街の花屋さんに並ぶようになってきたと思います。

Q 東北の花が美しい時期はいつごろなのでしょう。

日本列島は南北に長く、時期によって最盛期の産地が異なります。バラでいうと生育にいい環境が季節によって変わり、静岡より北側の産地はこの時期(6、7月)に一番いい状態の最盛期を迎えます。夏は東北の花が最盛期、冬は西側の花が最盛期という風に年間を通して最盛期の産地は変わります。今回ちょうど5月の母の日あたりから東北の花が良くなってくる時期を迎えたので、母の日のアレンジに続き3度の頒布会を行なうことができました。7月後半から8月一杯は、花を飾るこちらの(関東地方)環境があまりよくない(暑い)ため頒布会はお休みしています。暑いと花はすぐだめになってしまいますからね。また例年のデータから相場も落ち込む時期に東北の花がよくなってくる時期だったということも、今回企画をしたポイントですね。

Q 今回アレンジメントと一緒に花の産地や花の説明がついているのは斬新でした。あたたかい心遣いですね。

お花屋さんの店頭に花の産地が書かれているものを見たことはありますか。花の産地をきちんと出す花屋さんも最近は少しずつ出てきているとは思いますがまだ少ないですね。例えば野菜の様に"どこ産の○○である"という情報があれば、もっと花と消費者が近くなるのではないかと考えています。
今回アレンジするにあたり、東北の産地自慢もたくさんあるのでそういう情報を入れたカードをつけて、少しでも花に興味をもってもらえたらと思い、説明を一緒につけてみました。
ただ「美しい」というだけでなく、東北の花をもう少しよく見て欲しいと思ったんです。

Q さて過去へ遡りますが、中村さんが華道をはじめられた経緯と相阿弥流(そうあみりゅう)について教えてください。

18歳の時、日本的なものをやりたいなという漠然とした気持ちと、自分の手で何かを作りたいという気持ちから、大学の華道部に入り、いけばなに出会いました。たまたま担当されていた先生が、華道部の時間だけでは古典と言われる花は片手間ではできないからと、先生の計らいで土日にお稽古に通うようになり、すっかりいけばなにはまってしまったんです。そこが相阿弥流でした。華道は何百という流派のうち、ほとんどが江戸時代以降にできた流派なのですが、相阿弥流の起源は室町時代。室町時代が起源の流派はとても少なく、また家元は華をなりわいにしてはいけないというルールがあり、細々とずっと続いてきているとても歴史の古い流派です。

Q 華道家になられてから、日本で少し働かれますがその後パリにいらっしゃいます。パリでは花に助けられた経験があるそうですね。

日本のいけばなの思想は日本人としては理解できるのですが、日本文化があまりわかっていない外国人の方に日本のいけばなの思想を話しても、なかなか伝わりにくい。当時惹かれていたパリの花を理解するためにはパリの文化を理解しないと魅力はわからないだろうと思い、暮らしてみようとふらっとパリへ飛びました。ちょっと花を飾って、といわれてやったものがパリコレだったり、一輪刺しとパリコレがパリでは並列に位置していたり。美しいものに対しての仕事の大きさがあまり関係ないということを知りました。パリコレの仕事を受けたときには、現場はフランス人ばかり。自分はフランス語がほとんどしゃべれない状態でした。市場で薄いアプリコット色のダリアを300本注文していたんです。飾る日の当日朝、車で市場に取りに行ったら「あの色のダリアはあまり綺麗じゃなかったから元気なオレンジにしておいた」と濃いオレンジ色のダリアが300本用意されていたんです。色が違っては困ると市場中探し回ったのですが、当初の薄いアプリコット色のダリアはどこにも見当たりませんでした。困っていたところ、たまたま市場で「うちの農場にあるよ」とある男に言われ、その農場まで取りに行きました。なんとか欲しいダリアを300本手に入れ、パリコレ会場へ急いで車で戻りましたが、会場に着くとショーのスタート30分前。フランス人スタッフにも日本人スタッフにものみんなに手伝ってもらって、花の飾り付けを大急ぎで行ないました。打ち合わせのときには、言葉もしゃべれない日本人は・・・と少々馬鹿にされていましたが、ショーが始まったら、みんな僕に「すばらしい花だ、美しい」と言ってくれて。この国は、綺麗だったら全てがOKなんだと。まさに花に助けられましたね。パリでは花に助けられて花をもっと好きになりました。

Q  その後日本に戻られますが、きっかけは何だったのでしょうか。

いろいろな仕事をパリで経験し、少し滞在してちょっとこのままこっちで続けようかなと思っていたときに、桜の枝を活ける機会があったのですが、枝を活ける文化がパリにはなかったということを知りました。ないとわかるととたんに桜の枝や紅葉の枝を次々に活けたくなってしまって・・・。そろそろちゃんとアトリエを構えてやりたい、桜の枝や、紅葉の枝を活けたい。花の質も良く量も多いパリだったのですが、枝の花の材料は日本とは異なり、活けたい花が手に入らなかったんです。その時、母国日本へ帰ろうと思いました。

Q  帰国されてSYUNKAをオープンさせますが、アトリエという形を選んだ理由を教えてください。

美しい花の良さをどのように伝えられるか、そこに重点をおきました。いらしてくださったお客様に「この花こんなにいいんですよ!」と言うのはちょっと違うのではないかな・・・と。まずお客様が綺麗だと思って興味をもってもらってから、初めてその花の美しさを説明できるのではないかと考え、お店売りではなくアトリエという形式を選びました。完成されたアレンジや花束の中でも日本の中のいい花を使って、まずお客様に見ていただきたい。

花は自己表現でもあると思いますが、一方で身近にインテリアとして飾ったり、ギフトとして贈ることが多いと思います。そうすると贈った方ではなく受け取った方が飾るものなので、自己主張が強すぎるとつらい。つまり、身近に置いてほっとしたり癒されたり。そういう役割を花は担っていると考えています。

Q 今後やっていきたいことを教えてください。

華道家中村俊月ということが先立ってしまい、作品性を求めれることも多いのですが、SYUNKAとして一人でも多くの人に日本の花の良さを伝えていきたいですね。

「東北の花の頒布会」は秋からまたやりたいと思っています。収益をハタチ基金へ寄付することは無理をせずに継続してできるものだと考えています。規模は小さくてもこれからも何ができるか、東北の人たちと協力して一緒にやっていきたいですね。一人ではできないことも、同じ志のいろんな人の力を借りれば、時間がかかってもできるのではないか。花をもっともっと身近なものにしてもらえるよう、いろいろな活動をしていきたいと思います。

※1 SYUNKA

華道家・中村俊月(しゅんげつ)の提唱する「BESPOKE FLOWER(ビスポークフラワー)」
をコンセプトに、より上質な花をお届けすることを目指した花のアトリエ。主宰である中村俊月がパリから帰国した2006年、花の持つ力をより豊かに伝えたいという想いから店舗を持たないアトリエとしてはじめました。おもてなしの場で花を飾る中で、人と花の関わりの原点である「贈る」行為に再注目し、季節を見立て、花を仕立てる "BESPOKE FLOWER"スタイルで展開中。
オフィシャルホームページはこちら

※2「東北応援!アレンジ」

SYUNKA「東北応援!アレンジ」
定番のアレンジ各種に加え、SYUNKAでは今自分たちにできることとして、被災の状況下においても出荷を続けられている東北の生産者の高品質の花を適正価格で仕入れ、アレンジメントとして提供する「東北応援! アレンジ」をつくった。売り上げの一部は被災孤児、および被災地の子どもの心のケアに合わせ、
学び・自立の機会を継続的に提供する期限付きの基金「ハタチ基金」へ14400円(5月17日)寄付をした。

※3「東北の花の頒布会」

SYUNKA「東北の花の頒布会」
http://shungetsu.exblog.jp/16450220/

出荷が増えるも需要が落ち込み、毎年花の相場が崩れやすいこの時期に、東北の生産者の高品質の花を適正価格で仕入れ、毎週お届けする「花の頒布会」が開催された。収益の一部をご寄付いただく予定。3週間毎週日曜日の午前中に旬のお花をお届けする。「ハタチ基金」へ15295円(7月9日)寄付。
 6月26日:カラー
  7月3 日:トルコキキョウ
 7月10日:バラ
売り上げの一部も被災孤児、および被災地の子どもの心のケアに合わせ、
学び・自立の機会を継続的に提供する期限付きの基金「ハタチ基金」へ寄付をする。
申込受付は6/21で締め切り。「ハタチ基金」へ15295円(7月9日)寄付。

SYUNKAにとって「頒布会」は初めての試み。受け取った方にそれぞれの花の魅力が伝わるよう丁寧に束ね、梱包。花は使用した花材の説明とともに送られる。

※4 中村俊月 

中村俊月プロフィール

Shungetsu Nakamura
1975年 横浜生まれ。
華道 相阿弥流(そうあみりゅう)指導師範。

横浜生まれ。華道 相阿弥流師範。
日本の伝統美をヨーロッパの美学と融合させた独特のスタイルと、スペースの持つ魅力を最大限に引き出す企画とデザイン力が、世界中のセレブリティを魅了し、クライアントには、5ツ星ホテル、ファッションメゾンが名を連ねる。

2003 "ふらここ"(草月プラザ, 東京)
2005 "MEMOIRE" (KODJO, パリ)
2007 "one forest" (Galerie Andre & Catherine Heug, パリ)
2008 "my forest in your forest" ( les salaisons, パリ)

※SYUNKA「東北の花の頒布会」の花の写真はこちらからどうぞ。

(取材日 2011年7月27日 港区白金)

(2011年8月24日 09:00)
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