右手に缶ビール、左手にスコップで環境再生【グラウンドワーク三島】

三島の宝物・ミシマバイカモ(三島梅花藻) 縦横無尽に水路が行き交い、美しい水辺の風景に恵まれた静岡県三島市。だが、高度成長期には工業用水として地下水が失われ、水路は悪臭漂うドブ川と化していた。奇跡のような清流の復活は、市民運動の賜物だった。

 丘の上に位置する三島駅から、緩やかな下り坂を降りていくと、道は何本もの水路を横切っていく(注1)。夏になれば、さぞや涼やかな空間が拡がることだろう。
 市内の名園、小松宮彰仁親王の別邸だったという「楽寿園」から流れ出る源兵衛川もその一つ。水辺に沿って歩くと、多くの生物を育んでいることが一目でわかる。「渓流の宝石」といわれるカワセミも、ここではごく自然に観察できるという。
「かつて、三島市内の生活は、水路と密着していました。野菜や食器を洗うのも、洗濯も、すべて川で済ませていたんです」
 水路をご案内いただいた、NPO法人グラウンドワーク三島事務局の山田昭子さんはこう話す。水路を敷地内に引き込んでいる家も多く、思わぬところから水が流れ出てくる風景もそこかしこで見られる。
 当時、子どもたちは「水ガキ」と呼ばれ、文字通りカッパのように泳ぎ回っていた。

 グラウンドワーク三島が運営する「三島街中カフェ」は、市民の憩いの場。店内奥にある水槽には、かつて普通に見られた希少種の魚が泳ぎ回っている。「昔はこのあたりで随分泳いだんですよ」と、居合わせたお年寄りが思い出を話してくれた。「水路がつながってたから、10キロも先まで、ずーっと泳いで遊びに行ったものですよ」
 有り余るほどだった地下水も、高度成長期に大量に工業用水として汲み上げられた結果、1960年代には大幅に減少。市街地の水路は、生活雑排水の垂れ流しやゴミの投げ捨てにより、悪臭漂うドブ川になってしまった。
「企業、行政、住民、それぞれがバラバラに動いていて、どうしようもない。埋め立ての話も現実的になってきていました」
 グラウンドワーク三島事務局長の渡辺豊博さんは語る。
「もう時間的に余裕がない。『最後の戦い』という思いで取り組みました」

 現在のグラウンドワーク三島につながる市民運動が始まったのは、1983年のこと。当時、渡辺さんは、県庁の職員だった。
「何とかしたいという思いは、みんなが持っている。でも、特効薬はないんです。複雑に絡まりあった糸を、一本一本、丹念にほどいていくしかありませんでした」
 地道な勉強を重ねるうち、とあるシンポジウムで、イギリスに「グラウンドワーク」という考え方があることを知る。
「グラウンドワークは、市民、行政、企業の真ん中にあって、調整仲介の役割を果たします。それぞれの長所を生かして、問題の解決を図ります」
 これは使える! ピンときた渡辺さんは、「三島に来てくれ」と、講師のイギリス人に視察を依頼。訪問は4ヵ月後に実現し、この時作成された「10のポイント、10の提案」という提案書が、グラウンドワーク三島の最初のアクションプランとなった。

 豊かな水環境の中で育った、かつての「水ガキ」は、誰もが高度成長以降の環境悪化に心を痛めていた。実際に団体を作り、運動を始めた人も少なくない。だが、それぞれの活動は点に留まり、環境の改善にはほど遠いのが実情だった。グラウンドワークはそれを少しずつ結びつけ、やがて大きな「うねり」を生み出す力となっていく。「それぞれの団体の『得意ワザ』を引き出そうとしたんです」(渡辺さん)
 「右手にスコップ、左手に缶ビール」を合言葉に、ボランティア有志は連日水辺に繰り出し、環境整備に汗を流した。その一方で、企業にも協力を依頼。1992年には東レが工場で使用後の冷却水を提供することになり、楽寿園への導水が始まる。美しい水風景が戻り、すっかり人気の観光スポットだ。
 現在、グラウンドワーク三島のフィールドは実に53ヶ所。地域の環境維持・改善にとって、なくてはならない存在となっている。

(注1)およそ8500年前の噴火で、富士山から噴出した溶岩は三島付近で止まった。「三島溶岩流」と呼ばれるこの層は、多孔質で水をよく通すが、その下側は水を通さない。そのため、富士山麓一帯にに降った雨や雪はいったん地下水となった後、三島付近で湧き水となり、豊かな恵みをこの地域にもたらしていた。

(取材日 2011年1月24日 静岡県三島市)

(2011年6月 9日 16:00)
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