自立できる避難所をつくるまで(後半)【OSUSOWAKE Project】

イベント参加者で記念撮影前半の続き。

福島県いわき市湯本第二中学校の澤井史郎校長は語る。

「震災を受け、いわき市湯本第二中学校(※1)が指定避難所となりました。指定避難所には本来であれば米や缶詰、炊き出し用の窯などの備蓄品がなくてはならいのですが、学校には水しかない。」

避難所となったいわき市湯本第二中学校から原発までは55キロ離れている。

「学校を避難所として開放するように言われたので、私と教頭の2名で震災当日から受け入れを始め、私たちも避難所に寝泊まりすることを始めました。高齢者が多く若者が少ない地域であるいわき市に、震災当日の11日には15~20名が避難。体育館にあるだけの毛布を敷き、ストーブで体育館をあたためました。12日にはカンパン、おにぎり、水、りんごで自主避難。13日にいわきよりも北の四倉(よつくら)という場所から375名の避難者がくると市から連絡。結局、100名程の人が親戚の所や他の避難所へいったので、13日に273名の被災者を受け入れなくてはならなくなりました。273名に対して教員が2名。ここで考えるべきことは、教員はあくまでも教育の立場の人間なので、支援をするという立場ではないということ。このとき一番足りなかったものが灯油でした。灯油はおおよそ150リットルを一晩で使う(ポリタンク8個分)のですが、市からもらえたのは40リットル。ポリタンク2つと少しです。身体を覆うものは毛布しかなかったため、これではとても寒さをしのげないだろうと、高齢者たちを教室へ移動させました。」

それから2日後の15日、福島第一原発に水素爆発が起こる。

「情報がなかなか入らないいわき市の避難所に、原発が水素爆発したという情報が入ったのです。私は市の職員にこの場所は安全なのかを何度も確認をし、考えをまとめました。原発から近い避難所がパニックを起こせば、それを見た他の避難所からも人が動き、福島中がパニックを起こすだろう。この避難所にいることが本当に安全なのかということは、私自身も信じるしかなく、もうわからなかったのですが"ここは安全ですから皆さん安心をしてください"と被災者たちをを励まし続けました。」

そのパニックから、澤井校長はさらに考えたという。被災者たちはこの避難所を出た後に、今よりももっと大変な生活が待っていると予想される。こらからの生活を円滑に前向きに送るためには、ひとりひとりが自立しなくてはならない。

「私は"自立する避難所を目指す"よう被災者に役割を設けることを決めました。学校の教員たちを呼び、避難所運営としての組織図を描きました。まず自分(校長)がTOPに立ち、女性の教員には高齢者に声をかける係、男性教員には物資の仕訳け作業をする係、教頭には避難所に物資をもっともらうよう副市長へ連絡を取ってもらいました。ちなみにこの時点ではいわき市の市長の居場所が確認できていませんでした。

避難所の被災者たちを見渡してみるうちに、その人の得意不得意がわかってきたのです。私は被災者の中からある人を責任者にしました。この時、被災者は減って150名程。6つの班に分け、各役割を学校側から提案しました。調理係、配給物資の処理係、プールの水を運ぶ係、子どもたちをみる係、高齢者との会話など係(子ども)など、10種類の係をつくりました。その各係に責任者を設けて、各長会を開催しました。そうすることで校長→教頭→各長会→から情報を集め、物資をどんどん要求することができるようになってきたのです。待っていても欲しいものはやってこない。その時その時で必要なものは変わってくることが分かってきました。欲しいものの情報をツイッターやブログ、メールなどネットワークを通し要求しました。そのうちホールアース自然学校(※2)の山川氏をはじめ、NPOや各専門のスタッフが炊き出しやボランティアなどで来てくれるようになりました。ただ気をつけなければならないのは"被災者たちの甘え"です。」

何でもやってくれる環境にいると被災者が甘えてしまう。澤井校長は自立した避難所の運営を今も続けている。

2名のゲストスピーカーたちの生の声の後には参加者たちからの次々と質門が寄せられ、"自分たちにできることは何だろう。"参加した学生や社会人たちは、言葉やアイディアを投げ交わした。予定時間を大幅に上回り、会は終演。

主催したOSUSOWAKE Project(※3)のスタッフ松尾愛子氏は、「実際に被災地で活動されていらっしゃる方の"現場の声"は非常に力強く、テレビや新聞などのメディアだけでは分らなかった被災地の現状が明らかになりました。今後自分たちに何ができるのかをより具体的に検討できる良い機会となりました。今後も継続してOSUSOWAKE DIALOGUEを実践していきたいです。引き続き物資の支援は続けていく予定で、現場で必要な情報や物資についてタイムリーに支援者とのマッチングを行っていきたいです。」とコメントした。

OSUSOWAKE DIALOGUEに集められた、指定した支援物資(※4)は、より被災地の方にとってタイムリーかつ必要なものをおすそわけしたいという想いから、被災地にネットワークのあるホールアースの山川氏を通じ、福島県いわき市へ送られるということだ。

※1 いわき市湯本第二中学校
福島第一原発からおおよそ55キロの場所に位置する、指定避難所。3月11日震災当日から避難所として運営。4月6日には無事入学式が行なわれた。翌7日からは一棟を避難所に一棟を学校の校舎にと運営している。校長は澤井史郎氏。

※2 ホールアース自然学校
静岡県富士宮市を拠点に全国6か所で「人、自然、地域が共生する社会をつくろう」をキャッチに1982年に設立されたアウトドアや野外教室の運営等活動をおこなうNPO団体。現在東日本大震災で被災された方々へ支援活動を実施。阪神・淡路大震災(1995年)、新潟県中越地震(2004年)などでの災害救援活動の経験を活かし、スタッフ複数名を現地に派遣し、物資の提供・子どもたちへのケア・倒壊家屋の片付けなど、復興に向けた様々な活動を地域の方々とともに行っている。くわしくは支援活動ブログを参照のこと。

※3 OSUSOWAKE Project
昨年6月に一人を通して互いに友達だった3名が、チャリティや社会起業などへ意識があるということで、話が盛りあがりその日に3人でのプロジェクトが結成。数週間後にOSUSOWAKE Projectという名称で活動することが決定。日本で、チャリティ意識やアクションを根付かせるために「お裾分け」というキーワードを掲げて①人々の社会貢献意識の醸成と②社会貢献のために活動する社会起業家を支援するという2つを理念に活動中。詳しくはこちらを参照のこと。

※4 指定された支援物資
タイムリーで必要なものとして各自持参。
・おむつ(子供用、大人用)・尿取りパット・下着(特に女性用)・ウェットティッシュ・コーヒー・紅茶・ハンドクリーム・化粧水・マットなど

(取材日 2011年4月6日 東京港区)

(2011年4月12日 14:30)
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