どこから切っても面白すぎるプロジェクト【里山長屋暮らし】

現在建築中の長屋の前にて 小山玄・宮佳江夫妻
2010年のCANPANブログ大賞で、最多得票を集め見事グランプリに輝いた「里山長屋暮らし?藤野プロジェクト」。4つの家族が、共同生活を行うために「長屋」を建設していく毎日は、傍で見ていても面白すぎる。

 生まれも育ちもまったく違う、4家族が集まり、田舎暮らしを実践していくための「長屋」(*1)を、神奈川県相模原市藤野(*2)の里山に建設することになった。そのあれやこれやを、実況中継的に公開する...今回、大賞に選ばれたのは、そんなコンセプトのブログだ。
 始まりは、07年の暮れ。「長屋暮らし」メンバーの小林夫妻が条件に恵まれた土地を見つけて購入を決め、共同生活を送る人々を探し始めた。説明会を経て、08年10月までに4世帯...小林家、池竹家、小山家、山田家...が決まり、建設に向けての動きが始まった。
 今回、インタビューにお付き合いいただいたのは、小山玄(こやまげん)・宮佳江(みかえ)夫妻。二人は「プロジェクトのことを小耳に挟み、説明会に出かけて、参加をすぐに決めました」と語る。
 小山夫妻を含むメンバーは全員、藤野にあるパーマカルチャーセンター・ジャパン(*3)の卒業生や講師であり、そのつながりも二人が参加することになった決め手の一つだった。

 里山長屋暮らしプロジェクトは、構成メンバーが様々な「顔」を持っているのが面白い...と小山夫妻は語る。
「もともと土地を見つけた小林さん一家は、4年前から藤野に来ていて、地元のネットワークができています。設計担当の山田さんは建築家ですから、そちら方面に顔が広く、広報的な役割もできる。池竹さんは、植物環境アセスメント学者なので、自然との共生といった観点からの話ができます」
 その結果、プロジェクトは建築業界でも話題となり、また共同生活や田舎暮らしを志向する人々の注目の的ともなっている。参加メンバー全員が異なる専門を持って、それを「長屋」づくりにフィードバックし、さらに立体的に人間関係が広がっていく。これが、本プロジェクトの醍醐味の一つなのだ。ちなみに、小山家の夫・玄さんは元出版社員で、現在はフリーのライター&編集者。いわばマスコミ担当の「専門家」である。

 建築中の「長屋」は、完全な共同生活の場というわけではない。4家族、それぞれのスペースは独立しており、その他に、メンバー全員や、さらに多くの人々が集うことができる共有スペースが連なって建てられる。多くの人々とこの面白さを共有したいという願いから、ワークショップなどの形式で、家づくりへの参加者を広く募っているのも、このプロジェクトの特徴だ。結果的に、ブログは、関わりをもったたくさんの人たちにとっても、大きな楽しみになっている。
「たとえば、愛ちゃん(山田家の妻)のお母さんが、こまめに見ていて。最近、愛ちゃんの写真見ないけどちゃんとやってるの? なんてコメントしてくれて。本人より、親の方がプロジェクトの進行を把握してたり(笑)」(宮佳江さん)
 現在、建築現場近くに暮らすのは小林家と小山家。設計担当の山田さんにとっては、写真の豊富なブログが、進行状況をチェックするための一つのツールにもなっている。

 長屋作りを進めていく上で、当然、意見の相違はある...と、小山玄さんは言う。
「メールを読んで、誰かがカチンときたりすることもありますよ。でも、お互いを否定することなく、話し合って妥協できるポイントを探っていけば、なんとかなります。キツい言い方になったりするときもあるけれど、気になったことは言っておくというタイミングもある。この2年間で、お互いの性格も少しずつわかってきたので(笑)、心配されるような、人間関係が壊れることはありません」
 ブログの実質的な管理人は、現場で職人たちへお茶を出している、小山宮佳江さんだ。
「ブログでも何でも、手をかけることが、楽しいんですね。忙しくても、たくさんのことを盛り込んでいきたい。毎日、お茶出しのお菓子を届けるのも、行けば行ったで必ず何か発見があって。写真も凄い量(*4)ですけど、見ているうちにどんどん入れたくなってくる(笑)。手をかければ、それだけ、感想などアクションが返って来るんですよ」
 里山長屋暮らしは、これからがスタート。CANPAN NEWS読者の皆さんも、ブログのチェックをお忘れなく(面白さ絶対保証)!

(*1)「長屋」といっても、昔風のものではなく、メゾネット形式の木造建築。プロジェクトの詳細については、「里山長屋暮らし」ブログのほか、これらのサイト(こちらこちら)が参考となる。長屋は10年内に完成し、11年初頭から入居が始まる予定。

(*2)神奈川県相模原市藤野...旧、津久井郡藤野町。07年に相模原市に編入された。東京にほど近い場所にありながら、自然環境に恵まれていることで、戦時中、多くの芸術家たちが疎開。戦後もそのまま留まる人が多く、次第に「芸術の町」として知られるようになった。86年に「ふるさと芸術村構想」が町のコンセプトとなり、野外彫刻など芸術作品が点在する「芸術の道」が整備され、認知度が高まっていく。中央道や中央本線から見える巨大なオブジェ「緑のラブレター」(89年作)は有名。現在も数多くの芸術家たちが暮らし、年間を通じ様々なフェスティバルなどが開催される。また、藤野駅脇の観光案内所「ふじのね」では、地元情報が入手できると共に、地元在住の芸術家の作品も展示即売されている。パーマカルチャーセンター・ジャパンや、シュタイナー学園が藤野に建設されたのも、こうした風土によるところが大きい。

(*3)パーマカルチャー...パーマネント(持続的・永久の)、アグリカルチャー(農業)、カルチャー(文化)を合わせた言葉。オーストラリアのビル・モリソンとデビット・ホルムグレンによって創始されたもので、「人間にとっての恒久的持続可能な環境をつくり出すためのデザイン体系」をパーマカルチャーと呼ぶ。パーマカルチャーセンター・ジャパンは日本型のパーマカルチャーの構築を目指し、1996年に創設された。

(*4)凄い量...一つの記事あたり5枚が標準量。しかし一日の作業がいくつもの記事に渡りアップされるので、合計では確かに「凄い量」に見えることが多い。

(取材日 2010年11月1日 神奈川県相模原市)

(2010年11月29日 00:00)
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