音楽の力を使って人を助けていきたいんだ【ブラストビート】

ブラストビート創始者 ロバート・スティーブンソン氏 ティーンエイジャーたちが音楽ビジネスの現場に接することで、人間的な成長を促すプログラム「ブラストビート(注1)」。日本組織のスタート一周年を機に来日した創始者、ロバート・スティーブンソン氏に話を聞いた。

 --生い立ちについて教えてください。
「1953年、ダブリンの生まれだ。途中、2歳半から7歳までロンドンに移ったけど、その後はダブリンで育った」
 これまで、日本語サイトでは、スティーブンソン氏については「U2を発掘した男」といった紹介だけで、それ以外のバイオグラフィにはほとんど触れられていない。そこで今回は、ブラストビート以前の氏のキャリアについても詳しく話を聞いた。
--音楽との出会いを教えてください。
「父はクラシックが好きだったから、音楽にはずっと親しんできた。でも、やっぱりビートルズだね。63年、彼らが初めてダブリンに来たとき、9歳だった僕は親にコンサートに行かせてもらえなかった。でも、毎週の小遣いで、彼らのシングルを1枚ずつ買うのが、何よりの楽しみだった。初めて行ったコンサートは、65年、11歳のときのローリング・ストーンズだ」

--U2とはどのような関わりが?
「80年当時、U2は無名だった。僕は若いバンドを手助けしたいとずっと思っていて、彼らをロンドンに連れてきた。兄がディレクターだった『センス・オブ・アイルランド』というフェスティバルに出演してもらったんだ。彼らはそれ以前にもロンドンで演奏していたけれど、さほど注目されなかった。いわばラスト・チャンスだったんだ。幸い、パフォーマンスがタレント・スカウトの目に留まり、クリス・ブラックウエルのアイランド・レコードと契約することができた」
--当時からフルタイムでミュージックビジネスに関わっていたんですね。
「85年のライブ・エイドでは、ダブリンで募金を集めた。音楽の力で世の中を変えたいと思っていた。その一方では、セックス、ドラッグズ...荒んだ世界にどっぷりと首まで漬かっていた。でも92年のある日、ふと思った...自分は一体、何をしてるんだろうって」

--それで社会貢献活動に目覚めた?
「酒もタバコもやめて瞑想を始めた。とても効果があったね。それから音楽の力を使って人を助けることに傾倒していった。その頃からブラストビートのアイディアがだんだん形を持ち始めた」
--実際にブラストビートを始めたのは?
「90年代後半だ。当時、アイルランドでは、10代前半の子どもたちが麻薬に手を出していた。なんとかしなくちゃ、と、アルコールと麻薬抜きの音楽イベントを始めた。すると、子どもたちが『手伝いたい』と言ってくるようになったのさ。チラシやプログラムのデザインとかをやってもらった。最初はダブリン。でも、そこら中から子どもたちは集まってきて、自分たちの地元でもやりたい、と言うようになったんだ。そこで、イベント開催をミニ・カンパニー・プログラム(注2)として学校に提案してみようと思った。それが『ブラストビート』の始まりなんだ」

 スティーブンソン氏が始めた「ブラストビート」は、企業などから資金提供を受けて運営すること、即ちCSR活動の一環としてデザインされていた。ところが、これでは出資者が手を引けばジ・エンド...活動を世界に広げていく上では限界がある。解決法を模索する中で出会ったのが、日本の支援者たちだった。日本型ブラストビートの担い手はボランティア...「市民活動としてのブラストビート」という持続可能なモデルが提示され、この運動は新たなステージに入ったと言える。
--ブラストビートは、社会企業家を生み出しましたか?
「始まったのが03年だから、卒業生たちも若い。残念ながらリチャード・ブランソンはまだ出現していない(笑)。でも初年度優勝チームの中心メンバーが、その後ブラストビートの一員として働くようになり、目の色を変えて勉強を始めた。現在は大学で経営学を学んでいる。将来が楽しみだ」

(注1)「ブラストビート」の活動については、こちらの記事を参照のこと。前回来日時のリポートである、このサイトも参考になる。

(注2)小さな会社組織を設立運営させることで、実際の社会や経済の動きを学ばせようという活動のこと。アイルランドで高校教育に取り入れられている。

 

(取材日 2010年10月6日 東京都虎ノ門)

(2010年10月25日 00:00)
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