東北の地に『子どもの詩』を見つめ続けて半世紀【柏屋】

青い窓子どもアトリエにはたくさんの作品が

福島県・郡山市に本拠を置く菓子製造販売の株式会社柏屋

嘉永5年(1852年)、奥州街道の郡山宿に門前茶屋として誕生した柏屋では、代々の当主が利益よりも「顧客にいかに喜んでもらうか」を優先して経営を続けてきた。CSRなどという言葉が生まれるはるか昔から、最先端のCSR活動を実践してきた企業なのだ。

今回の受賞は、半世紀以上に渡り発行を続けている詩誌『子どもの夢の青い窓』(現在は隔月刊、通算526号を発行)を中心とした、児童詩への支援活動を評価されてのもの。

柏屋では、年間を通じて各地から子どもの詩を公募している。寄せられた詩は『子どもの夢の青い窓』に掲載されるほか、ラジオ福島の同名レギュラー番組で紹介されることもある。また、郡山市中心部の柏屋本店など各地に「青い窓のウインドー」が設けられ、優れた作品が月替わりで掲示される。本店地下には活動の本拠である「青い窓子どもアトリエ」が設けられ、毎月「詩の教室」が開催されている。印刷物、ラジオ、掲示板...。様々なメディアを利用した、児童詩への手厚いバックアップは、他に類を見ない、ユニークなCSR活動と言えよう。

柏屋がこうした活動に取り組むきっかけとなったのは、先代の友人だった詩人・佐藤浩氏の存在だ。半世紀前、児童詩はまだ市民権を得ていなかった。子どもが一個の人間として意思を持つことなど顧られることなく、「子どもに詩など書けるわけがない」というのが世の大勢だった。

そんな時代にあって、佐藤氏は「子どもの言葉に耳を傾けなければいけない」と、児童詩の重要性を説く。理念に賛同した柏屋が、活動をバックアップすることになった。

当初は、なかなか詩が集まらず苦労した。しかし一周年記念でリーフレットを作成し、県内の小学校に配ったところ、教師たちから熱い反応があり、それ以後はどんどん詩が寄せられるようになった。

半世紀を経て、子どもを取り巻く環境は大きく変わった。学歴社会はいっそう厳しさを増すようになり、詩作に振り分ける時間は減る一方。

「それでも子どもたちの本質は、半世紀前と変わっていません」(青い窓子どもアトリエ館長・橋本陽子さん)

かつて目立っていた、水汲みや薪割りなど、家事労働を扱った詩は姿を消した。それでも家族を題材にした、ハートウォーミングな作品には変化がない、という。

むしろ心配なのは、子どもの想像力が弱まってきていること。「アニメやゲームは、すべてのイメージを具現化してしまいます。結果として、子どもから荒唐無稽なもの、夢、空想が消えつつある」(橋本さん)。ゲームを扱った詩もあるが、面白い内容にはなりにくいのだ。

「それでも、子どもは常に前向きで優しく、固定観念にとらわれない。大人が気付くこと、学ぶことが多いのです」(橋本さん)

かつて柏屋は水害に見舞われ、経営の危機を迎えたこともある。その時も、「青い窓」の活動をやめようという話は一言も出なかった。逆に組合側から「青い窓だけは何があっても続けてほしい」というリクエストが寄せられた。それだけ従業員も「青い窓」、そして柏屋の企業姿勢そのものを誇りに思っている、ということなのだ。

柏屋の「CSR活動」は、「青い窓」だけではない。1月を除き、毎月1日に催される「朝茶会」では、社長自らが客を迎え入れ、無料で出来立ての薄皮饅頭とお茶がサービスされる。また市内には「饅頭」にちなんだ「萬寿神社」が設けられ、毎年4月の例大祭でも「まんじゅう開き」として、柏屋の創業以来の年数に応じた巨大饅頭を作成(今年は159キロ!)、参加者に振舞われる。

楽しいもの、おいしいものを提供して、人々に喜んでもらいたい...「青い窓」の活動も、本業の薄皮饅頭作りも、柏屋にとっては同じスタンスなのだ。

「白い恋人」あるいは「赤福」...ここ数年の菓子業界には激震が走った。一方、柏屋は揺らぐことなく、正社員およそ200名、従業員数500名という規模を維持し、郡山の誇りであり続ける。創業以来、当たり前のこととしてCSR活動に邁進する姿勢は、「企業にとって本当に必要なことは何か」を、はっきりと示しているように思う。

(取材日2010年2月8日 福島県郡山)

(2010年4月21日 00:00)
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